任天堂の社長である岩田聡さんが亡くなりました。まだ55歳でした。
ご冥福をお祈りします。
私がプログラマーという職業を選んだのは、子供の頃大好きだったゲームの影響が大きかったと思います。
今では時々しか、ゲームはやらなくなってしまいましたが、僕はゲームが大好きな子供でした。
子供時代
私は子供時代、いわゆる『鍵っ子』でした。
幸い、友人には恵まれていて、野球が好きな子供だったので、放課後はほとんど外で遊んでいました。
しかし、外が暗くなって家に帰ると、ゲームをやって親の帰宅を待っていることが多かったように思います。
テレビは昔からあまり見ない方でしたし、ロックミュージックに傾倒しはじめたのは中学3年でした。
それまでは、本当によくゲームをして遊んでいました。
使いすぎてボロボロになったSFCのカセットを、斜め横に差し込んで動かしていました。その場面を今でも昨日のことのように思い出すことができます。
高校時代
高校生になると、僕は急速にゲームをしなくなりました。
僕のヒーローは赤い帽子の髭のおじさんから、エディ・ヴァンヘレンやポール・ギルバードへと変わりました。
でも、赤い帽子の髭のおじさんは相変わらずみんなのヒーローでした。
スタジオに入ってエレキギターでマリオの音楽を奏でると、みんなが喜び、笑いました。
すると、ノリノリでセッションが始まります。
中二病全開な仲間達は、年間オリコンチャート1位の曲の演奏は拒否しても、マリオの曲は受け入れました。
僕らにとって、ゲームサウンドはビートルズと同じでした。
岩田氏の作った様々なゲームは、子供時代の僕を大いに楽しませてくれました。
それは大人になっても変わりませんでした。DSやwiiも購入しました。
カービーシリーズは今やっても、面白いです。特に『星のカービィ スーパーデラックス』は何回やっても楽しくプレイできます。
大人時代
大人になり、僕はシステムの開発を生業とするようになりました。
そんなある日、ネット上で僕が見つけたのは『社長が訊く』という、岩田氏が開発スタッフに訊くインタビュー企画でした。
僕はこのコンテンツが大好きでした。岩田氏や宮本氏の考えは、物作りが好きな僕には共感するところが多く、僕は更新されると必ず読むようになりました。岩田氏は子供時代だけでなく、大人になっても僕に影響を与え続ける存在だったのです。
*以前、『任天堂 “驚き”を生む方程式』という本の感想を書いたことがあるので、興味がある方は是非一読を。良い本です。
プログラマー
岩田氏のプログラマーとしての数々の伝説は、プログラムを辞めようと考えた僕の心を、つなぎとめてもくれました。
プログラマーから、任天堂の社長への出世は、最下級戦士からスーパーサイヤ人になった孫悟空と同じ、いやそれ以上の変化だと思います。
岩田氏は55才でした。
まだまだ多くのことをこれから成し遂げることができたはずです。ファンの一人として、残念でなりません。
僕の力では、岩田さんのような完璧超人にはなれないでしょう。
それでも、これからも可能な限りシステムやアプリを作り続けていこうと思います。
僕も30を超えました。この先、いつ死んでしまうかわかりません。開発の仕事は、激務がデフォルトの業界です。早死しやすいともいわれています。 でも、毎日を全力でがんばれば、いつかは岩田さんのような、みんなが楽しんでくれるアプリやサービスが作れるかもしれない。
これからも色々あるだろうけど、やれるとこまでがんばりたいと思います。
最後に
ありがとう。
安らかにお休みください。
僕が少年時代に夜遊びしてグレなかったのは、きっとあの魔法の箱のおかげ。
未来の僕の子供や孫も、あなたの作ったゲームで遊ぶのでしょう。
久しぶりに電源を入れた僕の3DSが、赤い帽子の髭のおじさんを映しています。
うん。
やっぱり今やっても、最高に面白い。
written by 管理人 masa
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