2012年9月7日金曜日

エストニアのプログラミング教育に思ふ21世紀の教育

エストニアの公立学校で、初等教育の1年目からアプリ開発を教えるカリキュラムがスタートするようです。

エストニア、小学1年生からプログラミングの授業実施へ

個人的にこれはとっても良い取り組みだと思います。なぜなら、プログラミングを学ぶことで、数学的な考え方や言語表現の大切さも理解できるようになる可能性が高いからです。
プログラマーを確保するという点はおいといて、思考力を鍛えるという点でプログラミングは良い教育方法です。

さて、こうなるとプログラミング教育は日本でも小学生から取り入れるべきだという意見が出てくるでしょう。
でも日本で実際に実現するにはかなりの困難がつきまとうことが予想されます。
私は教師に転職しようと考えていた時期があって、小学校教諭のカリキュラム(1種)を半分(30単位)くらいこなしたことがあります(2年目は未履修)。
その時の教育内容を思い出しても、今の日本の小学生教師のシステムにプログラム教育まで組み込むのは難しいと思います。

例えば、小学校教諭になるための学習で時間がかかる技術にピアノがあります。私は昔から習ってたので問題なかったのですが、経験のない人は悪戦苦闘してました。(YAMAHAとかに通っているひともいました)
今はさらに英語も必要です。それにプログラミングまで加えるとなるとかなりの負担です。
たとえ全部それなりにこなせる人がいても、最終的に教師を選択する人は少ないでしょう。
働く環境は閉鎖的で劣悪だし、どう考えても割に合いません。高いコミュニケーション能力や教える技術も求められます。全部こなせるような人材は、ビジネスマンになったほうがずっと稼げます。

とはいえ、これからの時代を生きる子供達は、基本的な英語やプログラミングは知っておく必要があるでしょう。さらには金融の仕組みやゲノムについても理解しておく必要があります。
もちろん、既存の学習も大切です。

そんな時代の教育に対応するには、一人の教師が全てを教えるのではなく、専門性をもった人を小学生教師として迎え入れることも必要でしょう。

現場を離れたプログラマー。通訳だけでは食べていけない英語教育関係者。安月給の大学講師。
そういった人たちをそれなりの待遇で臨時教員として雇うと良いのではないでしょうか。個人にお金も回るし、国の底上げにもあります。問題は財源をどうするかでしょうか。

私はまだ日本は復活できると信じています。
次世代を担う子供達が世界で活躍できる可能性が広がるような教育になってほしいと願っています。

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