本当の名作は時代やジャンルをも超越するのだということを教えてくれた本です。
SFなんてくだらない。そう思い込んでいた私の考えを粉砕してくれました。
ここでは、この物語をSFという視点ではなく、文学という視点から物語を思索してみようと思います。
この物語は、
「人間が争いを放棄し、生きていくのに必要 な物質を全て満たしとき、人類はどういった方向へと向かうのか。」
という問いを投げかけてきます。
この本が書かれたのは1950年代で、現在は2010年です。当時と比べて、人類の生産性は大きくあがりました。世界の先進国では、貧乏な人間ほど肥満になるという現象が浮上するほどにです。
しかし、貧困国では、いまだに大勢の餓死者が出ています。日本では、コンビニ、ファミレス、スーパー等の店舗で大量の食事が廃棄されているというのに…。これはひどく矛盾した社会です。しかし、この問題もそう遠くない未来に解決されるでしょう。そして、人類は飢えを克服すれば、さらなる生活の向上を目指すようになります。世界の一部の先進国ではすでにそうなっているように。
人類の努力で、素晴らしい多くの技術が発展しました。しかしその結果として、世界中の先進国では、職のない失業者が大量にあふれています。皮肉なことに、人を幸せにするはずの技術が、人から仕事を奪ってしまったのです。
過去は
仕事量 < 需要
だったのが、
現代は
仕事量 > 需要
となってしまったのです。
この現象は新興国の急速な発展でさらに高まるでしょう。今後、食料は今より少ない人口で大量生産が可能となり、「働かざるもの食うべからず」という言葉は、過去ものとなり、働かなくても食える社会が到来するはずです。このような社会で人はどう生きていけばいいのでしょうか。
この物語の中では、人は学ぶことに重きをおいて生きていました。大学院で高度な専門項目を学ぶ、専門項目以外にも好きなことを突き詰めていく。確かに理想です。私もそういう世界がいつかきてほしいと強く願っています。
しかし、そんな世界が果たしてうまく機能するのでしょうか。人は、自分の生活を過去とは比較しません。
他人と比較するのです。
物質が全て満たされた世界では、人は生れながらの顔や身長でお互いを比較するようになるのでしょうか。でも、顔や身長も自由に変更できる時代もくるでしょう。そのとき人はなにをもって幸福感や満足感を得るのでしょうか・・・。
そんなことを色々と考えさせてくれる本でした。未読のかたは、ぜひ一読をお勧めします。
その辺のビジネス書・専門書・歴史本を読むよりも、多くの示唆を与えてくれる素晴らしい本です。
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