2010年10月12日火曜日

悪霊1巻の感想

光文社古典新訳文庫より、亀山郁夫氏の新訳が発売されました。
ドストエフスキーの代表作の一つ「悪霊」です。




私は、亀山訳の「カラマーゾフの兄弟」と「罪と罰」を読んでドストエフスキーにはまったので、ためらいもなく即購入した。

亀山氏は、この悪霊をドストエフスキーの地獄編と評している。しかし、この1巻では、そのような雰囲気は感じられない。淡々と、1861年のロシアの農奴解放令(*1)によって揺れる世界が描かれている。一方で、罪と罰のような読み易さはなく、第1章の説明描写はカラマーゾフの兄弟を連想した。

この物語の主人公はニコライ・スタヴローギン(以下ニコライ)であるが、ニコライの本格的な登場は1巻の後半になる。1巻の前半~中盤までの話は、ステパン・ウェルホヴェンスキー(以下ステパン)と友人のワルワーラ・スタヴローギン(以下ワルワーラ)が中心となっている。彼らの20年にも及ぶ友情と恋愛を綯い混ぜたような奇妙な関係が、この先物語に大きな影響を及ぼすことが伝わってくる。

2章のハリー王子縁談では、ワルワーラの息子ニコライの狂った複数のエピソードが紹介される。一方で、ステパンはワルワーラからダーリヤ(以下ダーシャ)との結婚話を突きつけられる。

ここで怪訝に思うのが、ワルワーラが、なぜダーシャとステパンを結婚させようとしたかである。ダーシャはワルワーラの養女である。ステパンとワルワーラはかつて恋愛関係に近い仲にもなっている。なのに、養女ダーシャとの結婚を強制的に勧めた。この時のワルワーラの心情はいかなものだったのだろうか。

3章は、一気に色々な人物が登場する。一度に、彼らの関係を理解することは難しいが、栞にある主要登場人物を照らし合せながら読み進めた。

4章では、マリヤ・レビャートキナ(以下マリヤ)が登場する。教会堂での礼拝式にいたワルワーラの前にマリヤが現れ、ワルワーラは、ワルワーラ婦人の屋敷へと彼女を連れて行く。

5 章は、この1巻で最も話が盛り上がる。マリヤの兄であるレビャートキン大佐が登場し、マリヤが施しを受けた金をワルワーラに突き返す。一方で、妹のマリヤは領地を貰い受けたと主張する。この辺のワルワーラとレビャートキンの立場は、農奴解放令という大きな時代の変遷を受けとめようとしながらも、受け取りきれていない状況を描いているのだろうか。

また、ラストではステパンの息子であるピョートルが登場する。ステパンはあくまで息子としてピョートルに接するが、ピョートルはステパンに親愛の情をもっていないのは明らかだ。この悲しい現実に打ちのめされるステパンは不憫であった。



それにしても、なんという凄い小説なのだろうというのが1巻全体を通しての感想だ。

ドストエフスキーの小説からは、強烈な作者からのメッセージと思想が伝わってくる。それは「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」もそうだった。

亀山氏の悪霊は全3巻で刊行される予定のようだ。次の2巻を楽しみに待ちたいと思う。


(*1)ロシアの農奴解放令

1861年にアレクサンドル2世によって発令。クリミア戦争に敗北したアレクサンドル2世が、ロシアの後進性を痛感して取り組んだ。
 ツアーリズム(ロシア帝国の絶対君主制体制)の危機を感じた皇帝が、「下からの革命による改革よりは上からの改革の方が良い」と廃止を決めた。
 しかし、この農奴解放は、旧地主の大反対によって、農民にとってかなり不利だったため、農民の生活はすぐにはよくならなかった。

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