2017年2月26日日曜日

【コラム】プログラミングと英語は選択制にした方が良いのではないか。

  • 公開日:2017年02月26日

プログラミングと英語は道具。選択制で十分だと思うのだが…

2020年度以降の学習指導要領で、小学校から英語が教科化し、プログラミングが必修になることが決まりました。

これは愚策だと思います。私は仕事柄プログラミングと英語を使いますが、結局、プログラミングも英語も道具でしかないと思っています。この2つの現代ツールは過大評価されすぎです。

プログラミングや英語は、国語や算数や理科とは根本的に違います。小学生のうちは、道具の使い方よりも基本的な学力を伸ばすのに時間を使った方が、将来の役にたつ能力が身につきます。
というのも、道具は使い手の力量次第で、ゴミにも世界を制する武器にもなるからです。例えば、プログラミングで画像処理をする場合、微分積分と線形代数の理解が必要です。今をときめくAI技術、機械学習ならプラスで確率と統計学です。ハード系に関わるなら解析学や物理学、化学や電気回路の学習が必要です。英語はドキュメントや動画を確認し、より多くの人とコミュニケーションを取るツールとして活躍します。

教育者達がこの提案をした気持ちはわかります。facebookのザッカバークは英語を駆使し、プログラミングで20億人が集まるバーチャルな帝国を創りました。彼はプログラマーとしてもTop Coderの上位に入る腕前です。しかし、ザッカバークはプログラミングができなくても成功したでしょう。彼はfacebookの前にも色々なプロダクトを生み出し、企業から多くのオファーをもらっています。世界最高の大学のハーバード大学にも楽々入学し、フェンシングの腕前も一流です。彼のインタビューを読むと、様々な方面の知識量に驚かされます。彼は元々飛びぬけて優秀な人間なのです。

プログラミングは確かに素晴らしいツールだと思います。しかし、全ての人に必要はありません。
もし、学校でどうしても教えるというのなら、興味がある人だけが受講する選択制にするのが一番良いでしょう。英語も同様です。

これは決して差別なんかではありません。区別です。小学生のうちからあまりにも負担をかけすぎではないでしょうか。教育という言葉で武装して、大人のエゴを子供達に押し付けるのは反対です。

授業風景を想像する

さて、プログラミングが必修になったとして、どのように小学生にプログラミングを教えるつもりなのでしょうか。
決めるのは文部科学省だから、実績と汎用性のあるJavaを選定すると仮定して、実際の授業を想定してみます。

授業の初日、先生がパソコンに最初のコードを記述します。

public class HelloWorld {
    public static void main(String[] args) {
        System.out.println("小学生のプログラミング");
    }
}
      

手元のモバイルに映るこのコードを見て、小学生はどう行動を取るでしょうか。

「先生。読めません」

と多くの子供達が手を挙げるのではないでしょうか。

とはいえ、今の子供達は早期に英語教育を受け、簡単な英語くらい理解しています。なので、以下の質問が飛んでくるかもしれません。

「先生。argsってなんですか?」

当然の疑問です。しかし、この質問は文部科学省の想定通りです。先生は指導要綱の書き込まれた教科書のマニュアル通りに答えます。

「いい質問ですね、佐藤くん。argsはargumentsの略ですよ」

「そっか。argumentsを省略してargsなんだ」

「はい。佐藤くん正解です。皆さんもわかりましたね?」

子供達はそれを聞いて納得し、授業は進んでいく…

わけない!!

いや、今の子供は優秀で好奇心も旺盛です。ほとんどの子供はgoogleでargumentsの意味を検索するはずです。すると、モバイルの画面には答えが表示されます。

arguments 名詞:引数

さて、小学生達はこの漢字を何と読むでしょう。

いんすう?
ひきかず?

残念。
これはひきすうと読みます。
引数は変数を受けるパラメーターです。sがあるので複数のパラメーターを受けられるのだな、とここまで考えられれば満点です。

ここまで読んだ皆さんは、もう理解したと思います。

計画に無理がある

のです。

ちなみにほとんどの初心者用のプログラミング参考書では、public static void main(String[] args)を「おまじない」として認識させます。

十分な学習経験のある大人でさえ、最初はおまじないとして認識しながらゆっくりと学習していくのです。算数や国語で悪戦苦闘している子供達にこんなことをやらせて何の意味があるのでしょうか。優秀で意欲のある子供だけが学習すれば十分ではないでしょうか。

本当に大切なこと

子供達が未来を担う宝と考えるのなら、力を入れるべきはプログミングや英語ではありません。

数学、物理、化学

です。

現在の我々の生活を支え、豊かにしているのは科学です。そして、科学は高度な学力の上に成り立っています。
英語やプログラミングは、効率的に処理する道具でしかありません。

他の分野、例えば芸術分野だって同じです。

エレキギターがロックを生み、音声技術がボカロを生み、DTMがEDMを生みました。芸術だってイノベーションを起こすには、科学が必要になります。つまり、学力が全ての礎なのです。

つい先日、科学誌Newtonを発行するニュートンプレスが民事再生法の適用を申請しました。社会は科学に興味を失っています。世間で理系の人材は貴重だと言われていますが、言われているだけで実際の現場はどこもひどい人手不足で待遇も良くないです。労働基準法? なにそれ? という雰囲気です。トランプ大統領や安倍政権の行動、芸能人のゴシップではネットのコメント欄が賑わいますが、科学関連は閑古鳥がないています。

日本は岐路に立っていると思います。我々の子供たちは、先進国の人間として豊かな生活を送り続けることができるのでしょうか。今のままでは厳しいと思います。

だからこそ教育は何よりも大切です。教育は、多くの富を生み出し、生活を豊かにし、命を救います。

文部科学省や政治家には、なにが世の中を支えているのかを再考して欲しいと思います。お金が必要なのはわかりますが、あまりに金融政策に偏りすぎです。人類の生み出した英知が手に入るからこそ、お金に価値があるのです。

将来の日本は、少子高齢化が避けられません。だからこそ多くの可能性と時間を持つ子供達の教育は大切です。日本のためにも、良い教育が導入されることを願います。

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