記事概要
コラム記事。
最近、仕事関連の知り合いやプロマネ達に会うたびに「良いエンジニアはいないか」と尋ねられる。
そう言われても、今のITエンジニア不足は深刻だ。人がいないので金でも解決できない。どうしようもない。
しかし、こんな状況でも欲しがる人材のレベルは高望みだ。
コミュニケーションが取れて、プログラムが書けて、サーバの構築ができて、単価が安くて、意欲のある若い人材。
つまり、低賃金労働で口答えをしないスーパーマン。
当たり前だが、そんな都合のよい人材などいない。普通のエンジニアさえ見つけるのも困難なのである。そもそも今、ITエンジニアになりたい人自体が少ない。プログラマーにならないかと新卒を誘うと、露骨に顔をしかめる子も多い。
世界中の国や企業でプログラムができる人材を探している。そして、育てようとしている。だが、需要が供給を遥かに超えてしまっている。日本は深刻なレベルだ。
ではどうしてこんなにもITエンジニアが不足しているのだろうか。理由は色々とある。
僕は(今のところ)日本のITエンジニアだから、海外のことは詳しくわからない。でも、日本がひどいIT人材不足に陥ってしまった理由はわかっているつもりだ。
せっかくなので、自分の経験をまじえて説明していこうと思う。
35歳限界説
少し前まで「35歳限界説」という言葉が存在していた時代があった。
この言葉は、ITエンジニアは激務だから、それ以上の年齢だと仕事に体が耐えることができないという労働環境から生み出された言葉だ。
実際、20世紀のエンジニアの仕事は、今以上に激務だった。
徹夜は当たり前。多くの仕事と顧客の無理難題を押しつけられ、寝に帰るだけの毎日を過ごす。
一方で、仕事の内容はスカスカだ。朝からプロジェクトの会議に出席しっぱなし。ようやく自分の仕事が開始できるのは定時後である。
そんな昔のアホ自慢をしてくる管理職は未だに多かったりする。
僕が就職したのは21世紀だが、その時の某企業での新卒の面接時のやりとりはいまだに覚えている。
面接官:「通勤時間長いね(1時間半くらい)」
Masa:「体力には自信があるので問題ありません」
面接官「11時(23時)に仕事が終わって家に帰ったら午前様だよ?」
Masa「忙しい時期が多いのでしょうか」
面接官「いやいや。定時はあってないようなものだから」
Masa「...は?」
面接官「この業界で定時に帰る人なんていないよ。甘いよ。」
僕がこの企業の内定を蹴ったことは説明するまでもないだろう。ちなみにこの企業は倒産して、もう存在しない。
もちろん「35歳限界説」も完全な都市伝説である。
グローバルバカの出現
上述したように、昔のITエンジニアは今よりはるかに激務だった。当然のことながら、離職率も高かった。
一人前のITエンジニアになるまでには時間がかかる。そう簡単に力はつかない。
しかし、さらに追い打ちをかけるように世の中は動いていった。
グローバル化である。
パソコンの能力の向上とインターネットの急速な発展は、先進国の人から単純労働を奪い始めた。
発展途上国の人のほうがはるかに単価が安く、人件費を抑えられるからだ。
そして、この仕組みに気づいた意識高い系のビジネスマン達は、オフショアという仕組みを取り入れて大きな利益を出すようになった。
オフショアは人材派遣のグローバル版である。意識高い系人材派遣ともいう。
そしてついには、その意識高い系のビジネスマン達はIT業界にも口をだしはじめた。
「プログラムのような下等な仕事は単価の安い発展途上国の仕事になる。先進国の人材は上流の設計だけをやれば良い。」
なぜこういう意見が生まれたのか、僕にはわからない。推測だが、
発展途上国の人間でもできる → 単価の安い下等な仕事
という差別的な考えが彼らの頭の中にあったに違いない。だから、このような間違った判断を下したのではないか。
意識高い系のビジネスマンエリート様達には
発展途上国の人間がプログラミングをできるようになる → その国の技術、教育、賃金が上昇し国が発展する
という視点が完全に抜け落ちていたのだ。
だが、おそるべきことにこの意見は世間やIT業界で受け入れられた。プログラムは3年も書けば十分とされ、プログラマーとして働く人は、いずれSE(システムエンジニア)に昇格するのが当然とされるようになった。肩書が職能でなく、序列を生みだしてしまった。そして、これがとんでもない悲劇の引き金だった。
プログラムを書けないIT屋の増加
「プログラムのような下等な仕事は単価の安い発展途上国の仕事になる」
この考察は悪魔の理論だった。しかし、論理的思考法を得意とするエリートコンサルタント様達が賞賛したこの意見は、業界の常識として溶け込んでいった。
プログラマーの単価はあがらなくなった。単価をあげるには、SE(システムエンジニア)になり、PM(プロジェクトマネージャー)になり、最後はコンサルを目指すことが理想のキャリアパスとみなされるようになった。ここまでくると「つける薬はない」と今になっては思うが、当時は当たり前だった。
当然のことながら、会社は利益を追い求める。それが普通だし、そうしなければいけない。
そして、当然のようにプログラムを書かないエンジニアが生まれるようになった。そして、それが当たり前になるのに時間はかからなかった。
本来、エンジニアにとって大切な力は、システムの理解力である。
「仕様(要件)をコードでイメージし、システムを設計していく。」これがなにより大切なのだ。
英語や中国語等の日本語以外の言葉を話せる人ならわかるだろう。無意識に他言語での表現が頭や口に浮かぶあの状態である。ITエンジニアはプログラミング言語を介してその状態にならないといけないのだ。
しかし、この業界の常識、特に日本のslerは「仕様(要件)をもとにシステムを設計し、最後にコードに落とし込む」というやり方をしている(た)。
こうなると当然、コードで実装できない仕様が発生する。このシステム設計の誤りが手戻りを発生させ、度重なる会議と打ち合わせを必要とするようになり、実装工数が圧縮され、デスマーチとよばれる現場を生み出すのである。
しかし、Googleやfacebook等の一部の企業を除く多くの企業はこの基本を理解せず、システムの理解力に長けたプログラマーを求めなかった。彼らが求めたのは、単価の高いSE(システムエンジニア)だった。そして、彼らにコミュニケーション能力を求めた。さらには、右も左も分からぬ新人にSEという肩書を記載した名刺を渡した。そしてそれは多くの炎上プロジェクトを生み出す地獄の切符となった。
炎上したプロジェクトは悲惨だ。ひどい会社だとプロジェクトに関係ない多くのエンジニアまでが巻き込まれる。そして心身を削られ、業界から去っていく。才能があるのに、才能が開花する前に去ってしまう人を多く見てきた。 力がある人でも、多くの仕事を押し付けられて、壊れて去っていった人もいる。
また、ベトナムや中国等の国へのオフショアも実施されるようになった。ますますプログラムは軽視されるようになった。
だが、ほとんどのプロジェクトは思ったより安くはならなかった。それどころか、品質が悪く長期的にコストがかかるのが現実だった。
デフレ
ベトナムや中国等の国へのオフショアが実施されるようになったが、数年も経つと問題が浮上してきた。
発展途上国の人の賃金があがってきたのである。
一方で日本はデフレのままだった。日本人の1/5程度の給料で働いていた途上国の人達が、日本人の半分ほどの賃金がかかるようになったのである。日本以外の世界は成長を続け、インフレになっていた。つまり、採算がとれなくなってきてしまったのである。
なぜオフショアを推進していたか。それは安いからである。
しかも海外のITエンジニアは、日本のITエンジニアとは大きく労働感が異なる。日本人労働者のようにサービス残業などしない。
プロマネの中には、海外の奴らは残業をしないなどと怒る人もいる。これは当たり前だ。日本が異常なのである。
さらに、オフショアのシステムの品質は悪いことが多い。オフショアのプロジェクトでは、ブリッジSE(システムエンジニア)と呼ばれる異なる国の言語を話せるエンジニアが招集されるのが普通だ。しかし、うまくいっている事例は少ない。当たり前である。問題なのは言葉の違いでなく文化の違いにあるからだ。
スマホ襲来
(日本にとって)悪いことは続く。アップルがスマートフォンを発売したのである。
この製品はユーザーより、エンジニアにとって衝撃的だった。なぜなら、プログラミング力があれば、自分一人でも世界で勝負できるプラットフォームが用意されていたからだ。
さらに、スマホの進化はとんでもなく速かった。これまで以上の速度で技術が進化するようになった。
この頃になると、これまでオフショアでしかお金を稼げなかった途上国のエンジニア達もオリジナルのアプリ開発に参入するようになってきた。これまでの下請けのノウハウが蓄積されたのである。
IT市場には、先進国のITエンジニアだけでなく途上国のエンジニアも参入するようになり、さらに飛躍的に技術力が向上するようになった。今もなお、一年前の技術が時代遅れになるほどの速度で進化を続けている。トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」が現実になりはじめたのだ。
しかし日本の意識高い系のビジネスマン様達は、グローバル化なので英語化が重要だと声を上げるようになっていた。相変わらず理解力がないままだった。
開発の世界では進化のスピードについていくためにオープンソースが一般的となり、世界中の頭脳の集合知がさらに優れたツールを生み出していった。優れた開発者なら一人でスマホ開発、web開発、サーバー構築まですることが可能になった。わずか数人しかいないのに、何百億という価値をもつ企業が現れはじめた。instagramやSnapchatが良い例だ。
だが、ほとんどの日本の企業は既存のやり方を変えなかった。変わらなくともなんとかなると思っているのか、それとも変化に気づいていないかのどちらかなのだろう。日本の技術者で現状を認識しているのは、未だにごく一部である。
日本語に翻訳されない
上記の要因により、加速度的に技術が向上し変化するようになった。しかし、日本のほとんどのITエンジニア達は、変化を嫌って追わなかった(追えなかった)。なにより企業が変化とリスクを嫌い、実績ある既存の技術を使い続けた。
このことは、最新の海外の技術書の翻訳を少なくさせた。売れないのだから当たり前だ。翻訳だってビジネスだ。海外で賞を取るような優れた技術書も現在はほとんど翻訳されなくなっている。また、翻訳されたころには仕様の変更された古いバージョンということも多い。
最新技術を知るには、英語力が必要になってしまった。今、日本の技術者達のレベルは、人によりかなり顕著に差がつき始めている。英語力と技術力につながりができてしまったのである。日本の意識高い系のビジネスマン様達の言葉は、悪い意味で的中してきている。
そして誰もいなくなった
長い労働時間、すぐに変化する技術、予測不可能な将来、安い給料。気がつけばITエンジニアを志す新卒の日本人は激減した。
ワークライフバランスが提唱される時代に、日本のITエンジニアの労働環境はそぐわない。時代と真逆だ。人が集まるわけがない。
シリコンバレー等の海外に行くエンジニアも増えた。当然だ。向こうのスターエンジニアは億を稼ぐ。労働環境も優れている。プロ野球選手と独立リーグぐらい待遇が違う。
未だに日本では、「ボランティアでセキュリティ対策をできるエンジニアが必要だ」などと発言しては炎上している経営者がいる。2030年には既存の半分の企業が人材不足で倒産すると予想されているが、IT業界はもっとひどいことになるはずだ。
まとめ
タイトルが「政治家でもわかるITエンジニアが危機的に不足している理由」なので、政治を叩くコラムだと思った人も多いかもしれない。だが、全然違う。このコラムの趣旨は、ITに縁の遠い政治家でも分かるように、IT人材が枯渇している理由を説明しようということにある。
そもそも日本のソフトウェア産業に競争力がないのは政治家のせいではない。多くの要因が重なって今の状況があるのだ。
最近ではバズワードとしてIoTが流行っている。ドイツでは『インダストリー4.0』としてドイツ政府が本腰を入れて取り組んでいる。だが、このままだとドイツの試みは失敗に終わるだろう。IoTは産業の核とはならない。日本でも、ものづくりの得意な日本の巻き返せるチャンスと思っている人がいるみたいだが、可能性はほとんどない。IoTの本質はものづくりでなく「情報産業」である。ろくに人材のいない日本にはチャンスは少ないと思う。
ITエンジニアの不足を解消するのは難しい。若い人材そのものが減っている。若い人のメンターになれるような人材も限られている。完全に負のスパイラルに入っている。
全てを解決できる銀の弾丸はない。地道に業界そのものを変えていくしかない。労働環境、給料の改善はもちろん、技術への取り組み方、肩書で決まる賃金、下請けへの丸投げも変えていく必要がある。
国境の壁の低い仕事なので、育った人材が海外に流出するリスクもある。だが、それでも力のある人材を育てないといけない。本格的にITエンジニアの力が求められるのはこれからの時代なのだ。
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